F1日本GPにトップチームのレッドブル・レーシングから参戦する角田裕毅とは?《前編》

2016年からフォーミュラカーレースへと移行

その後、ジュニアカートへとステップアップを果たして各クラスのチャンピオンを獲得し、2013年には全日本地方カート選手権FS-125クラス 東地区シリーズチャンピオン、2014年の全日本カート選手権FS-125クラス シリーズ11位、2015年の全日本カート選手権FS-125クラス シリーズ2位と活躍。

そして2016年は、全日本カート選手権KFクラスに参戦しながら、フォーミュラカーレースへと移行していく。

ご存じのように、クルマの免許は満18歳にならないと取得できないが、レースの世界では若くて才能あるドライバーにレース参戦のチャンスを与えるため、満16歳以上18歳未満でJAF公認カート競技において所定の出場実績を満たせば、限定国内競技運転者許可証(限定Aライセンス)を取得することができるのだ。

▲FIA-F4 第11戦の表彰台(2016年8月27日)。左から2位角田裕毅、優勝した大滝拓也、3位澤田真治

その制度を利用して角田は限定Aライセンスを取得し、鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ(SRS-Formula)へ入校(現在のホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)。

このスクールの卒業生には、佐藤琢磨を筆頭とする国内外で活躍するドライバーを多数輩出しており、角田は同年の成績優秀者に授与される翌年のFIA-F4選手権参戦のスカラシップ最終選考会の4人まで残る。

選考会の結果は、現在SUPER GTなどで活躍する大湯都史樹が首席、次席が笹原右京となり、角田は残念ながらスカラシップ獲得は逃す。しかし、才能ある走りが当時のSRS-F校長である中嶋悟の目に止まり翌年のSRS/コチラレーシングのシートを得る。

また同年には、フォーミュラカーレースデビューも飾り、F1日本GPの前座として開催されたスーパーFJドリームカップレースと、スーパーFJ日本一決定戦で優勝を果たす。また、FIA-F4第11戦鈴鹿に参戦して史上最年少表彰台となる2位という結果を残している。

▲優勝した角田裕毅

▲SUPER FJ表彰式(2016年10月9日)。左から浦田裕喜(2位)/角田裕毅(1位)/津本匠(3位)

2016年のSRS-Fでスカラシップを獲得できなかった悔しさが角田をさらに成長させ、2017年はFIA-F4第2戦岡山で16歳333日という史上最年少優勝を飾り、シーズン3勝を挙げてランキング3位となる。また、JAF-F4東日本シリーズではシリーズチャンピオン、JAF-F4日本一決定戦では優勝を果たした。

▲FIA-F4 第11戦(2017年8月26日)。優勝した角田裕毅(ゼッケン8)と2位となった宮田莉朋(ゼッケン1)のバトル

この結果、2018年にはホンダのドライバー育成プログラムであるホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)の育成ドライバーに選ばれ、前年に引き続きFIA-F4選手権に参戦。結果、ポールポジション9回、優勝7回で角田は見事に2018年のFIA-F4シリーズチャンピオンに輝いた。

この2018年は、ホンダがレッドブルの兄弟チームであるトーロ・ロッソ(現・レーシングブルズ)へのパワーユニット(PU)供給を開始し、翌年からはレッドブルへのPU供給も決定する。

▲優勝しガッツポーズで喜ぶ角田裕毅

▲FIA-F4選手権・第5戦(2018年5月19日)。左から2位の小高一斗、優勝した角田裕毅、3位の名取鉄平

これに伴い、ホンダとレッドブルは若手ドライバー育成でも提携することとなり、夏にハンガリーのハンガロリンクで行われたF3合同テストに角田も参加し、レッドブル・ジュニアドライバーを上回るタイムをマーク。

この結果をジュニアチームを率いるヘルムート・マルコが高く評価し、レッドブル・ジュニアチームの一員となる。まさに、2018年は角田にとって運命の年となったのである。

《後編に続く》

 

<文/茂木康之、写真/Honda、Honda Mobilityland>

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